女性雑誌ELLEの編集長をしていたボービーは、1995年12月8日、突然脳血栓に見舞われ、全身不随で寝たきりの状態となる。動くのはわずかに左瞼のみ。その左瞼の“瞬き”によってコミュニケーションをとり、ついに“瞬き”による執筆を始めた。135ページに及ぶエッセイが書かれる過程を追った物語である。
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[インタビュー]
ジャン=ドミニク・ボービーの著書「潜水服と蝶(原題)」を読んでショックを受けない人はいないだろう。この本を読んだ時、その衝撃から私はもう映画を作りたくないとさえ思った。文章の美しさと彼の才能に打たれて、私はド・ベルク海岸病院へと向かった。
ジャン=ドミニク・ボービーは119号室にいた。全身麻痺のため、自分自身の身体に拘束され、瞬きをすることでしか外の世界とコミュニケーションをとれない“ジャン・ド”(ジャン=ドミニクの愛称)は自由人であることを放棄してはいなかった。ぼさぼさの頭で唇をとがらせて肘掛け椅子に疲れ切ったように座り、鳥のような目でこちらを探り、気管切開の管のニップル(接管)から漏れる空気の出す音が聞こえていた。私は命とは美しく尊いものだと感じた。そしてそれを残すには、カメラを使うしかないのだと。
ジャン=ドミニクは、健常者の私に居心地の悪さを感じさせるような存在ではなく、私を惹きつけ、虜にする存在だった。彼を撮影したいと思うのに、もうそれ以上のことは必要なかった。著書の中で、ジャン=ドミニクは自分を表現し、人を感動させるが、決して自分に溺れて同情や哀れみを請おうとはしていない。
撮影を始めるにあたって私は彼が萎縮したり、この計画をばかげていると感じたりしないかと心配したが、実のところ私の方が怖かったのだと思う。彼は何も隠さず、何事にも適応し、私たちの方が彼についていくのに苦労したほどだ。彼の凍りついた身体の中で、命が沸き立っていた。マルクス・ブラザーズのシネマ・スタジオのキャビンに改装された119号室で、私達は笑い、語り合った。そしてしばしば去りがたいほど私たちは彼の虜になった。
ジャン=ドミニクは自分の考えを表現したり、外の世界にメッセージを発したりすることをやめようとはしなかった。動き、話す能力を奪われ、礼儀を気にしたり、偽善という社会での駆け引きをする時間もなくし、彼は“潜水服”の中で、切符も国境もなく出発し、次元も時間も時代もなくし、精神世界の果てしない空間の自由を見いだした。カメラを通して私は彼を追い、彼の普遍性をほのめかしたり、彼にとって、ある時は光のように速く、ある時は氷河のように遅くなる時間を表現したりしようとした。
ジャン=ジャック・ベネックス監督













